発起人代表あいさつ
「全国歴史民俗系博物館協議会」の発起人を代表しまして、趣旨説明を申し上げます。
昨年3月11日の東日本大震災で沿岸地域の多くの博物館や文化財が被害を受けた際に、歴史・文化資料のレスキュー活動において浮かび上がってきた問題は、日本博物館協会の科学系、美術系、動物園・水族館などの館が、それぞれ館種別組織を持っているのに対して、歴史民俗系だけが全国的組織がないことでした。
美術系は全国美術館会議をもち、動物園・水族館は日本動物園水族館協会をもっています。震災後、そして復興に際して、全美・動水協の全国的支援体制は見事でした。
歴史民俗系は総数3,000館という最大の館種でありながら、これまで全国的ネットワークが全くなかったのです。博物館をとりまく環境が厳しく、特に歴史民俗系博物館が経済不況等を理由に閉館・統廃合などが相次いでおります。
東日本大震災は、まさに我が国の社会構造そのもの、豊かさとは何か、そして学問体系の再検討をも迫るものであると思います。
私自身、3月11日以来、地域社会と歴史・文化そして博物館の果たすべき役割は何かということを問い続けてきました。
私は大震災の前年11月13日、岩手県陸前高田市ふれあいセンターで講演を行いました。会場は約350人が詰めかけ、市長は「気仙や本市の歴史を学び、今後のまちづくりにいかしていこう」とあいさつされました。その5ヶ月後の大震災・津波によって市街地はすべて失われました。現在も沿岸部の市街地はその時のままです。さきの講演の時の市長さんは病気で亡くなられ、新しい市長に交代しました。市の復興計画が3月に市民に公表されましたが、そこには歴史・文化が盛り込まれておりませんでした。そこで市民そして東京の4大学の方々が立ち上がり、5月26日(土)陸前高田市の竹駒地区コミュニティセンターで「気仙・陸前高田の歴史文化を語る―歴史文化を生かしたふるさと創成へ―」というシンポジウムを開催しました。
私も基調講演で「今、なぜ、気仙の歴史文化を語るのか」と題して話しましたが、このシンポジウムでは、4名の市民の方が「大肝煎・吉田家の古文書」、「中世の山城・二日市城の歴史」など調査報告をしたのです。公共の大きな文化施設はすべてを失いましたので、地区の公民館で座布団を敷いて、満員の80名ほどの市民が集まりました(震災以来、生活に関すること以外で市民がこれほど集まったのは初めてとのことでした)。先頭に立たれた市民は仮設住宅住まいの方でした。沿岸部の市街地が廃墟と化したなかで、自分たちの豊かな歴史文化こそが地域復興の基盤になければならないと、強く市民の方々が意識されての行動です。
6月12日の岩手日報には、文化庁の支援を受け、「宮古市の文化遺産を活用した復興まちづくりを検討する委員会」が市に提言したと報じています。住宅や道路整備など生活再建が急がれるなか、自然の景観、歴史的建造物などを生かした宮古らしさのまちづくりを提言したのです。
歴史・文化が地域社会の基盤であるということが、今回の大震災を機に明確になってきたのです。その地域の歴史・文化の発信源が歴史・民俗系博物館です。今、「全国歴史民俗系博物館協議会」を立ち上げ、歴史・文化がそれぞれの地域社会の基盤であるという理念とその実践を、一つ一つの博物館が推進すべき時が来たのではないでしょうか。
本日の設立集会においてご審議いただき、「全国歴史民俗系博物館協議会」(略称・歴民協)を正式に発足いたしたいと思います。
平成24年6月14日
国立歴史民俗博物館
館長 平川 南
[設立集会における発起人代表あいさつ]